<読書法が教えられていない!?>

 

日本での学校教育では国全体の傾向として、

ひとつの文章に対するじっくりゆっくり時間をかけて解説したり

詳細にこだわって「文章を味わう」機会が多いです。

確かに文学作品を読む際は、このような熟読が重要となります。

 

一方、高校卒業後は一変、

大学生のレポートや就職して社会人として働く際の報告書では

文章の読み方が「じっくりゆっくり」では追いつかなくなります。

最初に全体像を捉えて短時間で文章を読み・理解して考える方法が

どうしても必要になるからです。

 

これらは、学校教育ではカバーしきれず教わる機会がないまま

日本の子どもたちは成長します。

ここで、「読解力の格差」が生まれる原因として

教わってないけれども、国語力が高い「勘の良い子」は

苦労せずとも自然に身につけられるのに対し、

勉強のコツを掴むのに時間がかかったりする子は要領をえないまま

いつも精読を続けてしまうクセが抜けず、常に熟読をして

「国語の長文読解が苦手」という現象につながります。

 

また、国語が苦手ではないけれども、

実力が伸び悩んでいる中学生に共通する現象として

「学校で習った文章では点数が取れても、実力問題では点が低い」

ということがあります。

 

ゆっくりしっかり、習って知っている話は読み進められても、

全く知らない話になった途端、視線と思考が停止してしまってしまうためです。

いつまでも、細部に捉えられた読み方を続けていては

素早く重要な個所のみを「すくい読み」する能力が身に付きません。

 

教われば、すぐに実行可能なコツである、にもかかわらず・・・

日本では「速読」という方法が最近流行のようですが、

教材となっている文章を読むと、教育的な意義のある文章よりも

「読むスピードを上げる、なじみのある物語」などが多く、

考える時間を要する、難易度の高い文章での速読はごくわずか。

 

それもそのはず。

「熟考が必要な文章では、スピードを上げて読む練習には不向き」

だからです。

ただ、これらの「難しい文章」を効率良く読み、

自分なりの視点で意見を表現するのに、多くの時間は必要ありません。

 

私は、「要領の良い読み方で、自分の意見をどの角度からでも述べられる」

文章の読み方を、アメリカ留学時に大学で必死に勉強していた頃

自分の努力と当時に出遭った書籍から学びました。

 

それを20代後半で帰国後、日本でも応用し始めたとたん

南山大学への入学試験も合格し、希望の講師職を経験出来るようになり

職務経歴書に「英語講師」「国語講師」の経験が書けるまでになりました。

そして、文章を書くことが全く苦にならず

自分の意見が書ける喜びを味わえるようになりました。